2013年10月21日月曜日

スイスからドイツへ その6 フルダへ Fulda

Südostbayernbahn南東バイエルン鉄道に乗りました。電車の写真を撮るのが好きなのですが、あまり、観光客ぽくっても良くないかと思うと、なかなか上手く撮れなくて。


 一番上に表示されているHamburgハンブルク行きに乗りました。Fuldaフルダまで2時間ほどの旅程です。
Frankfurtフランクフルトを通らず、まっすぐにあがってWürzburgビュルツブルクを通る、これもあまりメジャーな路線ではありません。フルダはフランクフルトとライプツィヒの中間くらいにある、町です。




行き着いたFuldaは紅葉が始まっていました。


Franziskanerkloster Frauenberg フラウエンベルク(聖母山のフランシスコ修道院)
http://goo.gl/o4ISVQ 修道院が宿泊施設を運営しています。泊まることができます。
http://goo.gl/R1uEGJ この修道院の少し変わった歴史が書かれています。
9世紀から1525年まではベネディクト会修道院であったそうです。フルダの街の中に1237年から宗教改革(16世紀前半)までフランシスコ会修道院はありました。その後、1670年からフランシスコ会がフラウエンベルクをベネディクト会から借り受ける形で、再開されたそうです。その後、教会の世俗化などで閉鎖された時期もありましたが、また再開されました。教会の歴史を話して下さったブルーダー(Bruder~Brotherと同義語)は返してくれと言われれば返さなくてはならないと、笑っておられました。

修道院の食堂(ゲスト用)













修道院の聖堂。
ちょうど、収穫祭が近く、野菜を飾ってありました。
よくよく見ると、面白いです。花瓶にパプリカが乗っていたりします。日本のお盆のなすの馬などを思い出すね、って話していました。


 そう言えば、どうしてフルダへ行ったのかをまだ、書いていませんでした。
私は昨年までの3年間、生徒として、東京の聖グレゴリオの家宗教音楽研究所に通っていました。
http://www.st-gregorio.or.jp/p/p4-1.html
ここを創立されたゲレオン・ゴルトマン神父様の故郷であり、亡くなられた場所なのです。神父様のことは上記HPの設立目的のところをご覧ください。神父様のお墓参りや、グレゴリオの家のゆかりの地を訪ねるツアーが催されたものに、合流しました。卒業生や、縁のある方々と神父様のお墓参りです。私は残念ながら神父様が亡くなられて年月が経ってからの入学ですので、私の中では伝説の人です!



修道院のお庭には野菜や花が作られています。


お部屋の窓から、フルダの街が見えます。


引退されたシスター方が住んでおられる、
家を訪ねました。日本の歌を歌いました。
たいそう喜んで頂き、
美味しいお菓子をごちそうになりました。

実は今回私は締め切り後に無理に参加をお願いしたので、宿泊場所が別になりました。フルダの街中にあるベネディクト会女子修道院。
http://goo.gl/6aoVjO
30年戦争の時も、死守したという修道院です。
美しい聖堂で、毎日グレゴリオ聖歌による、ミサ、祈りが捧げられています。
毎朝、一緒にミサに与らせていただきました。
聖歌の指揮をしておられるシスターは橋本先生と同門で、ヨッピヒ先生にグレゴリオ聖歌を習われた方。
天国の声のようです。





フルダでは忘れることの出来ない、大聖堂です。フルダは3度めの訪問ですので、今回はあまり、訪れませんでした。そのため写真もこの1枚。この教会の地下にはドイツへキリスト教を伝導したイングランド人、ドイツの守護聖人のボニファチウスのお墓があります。

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