お久さしぶりです。
どうも、もともと怠け者の性格で、なかなかブログの更新ができません。
今日は、所属教会の聖歌研究会の練習日でした。
その折、典礼聖歌集(カトリック教会の日本独自の賛美歌集)の中の、
「わたしは門のそとに立ち」を練習いたしました。
一番だけ歌ったとき、「わたし」を、私は「自分」、
すなわち歌っている人間の方と思ってしまったのです。
ところが、前で指揮をしていたものですから
2番を歌いながら、真剣にみんなの声に耳を傾けていました。
そして、はっとしたのですが、この「わたし」は、
イエス様のことではないですか。
ああ、どうしよう、と言う恥ずかしさでした。
そう気づいたことを皆に正直に説明し、
とっても朗読が上手な方に読んでいただきました。
そうして、もう一度歌っていただいたら、
驚くほど、素晴らしい歌になったのです。
歌詞の読み込みの重要さを、身を持って体験しました。
聖書の知識が足りないことを露呈してしまいました。
家に帰って調べてみると、
ヨハネの黙示録3章の中の1部分です。
黙示録は、どうも苦手で、あまり読んでいませんでした。
聖書の箇所と、歌の歌詞を下記します。
ヨハネの黙示録 第3章20節
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」
典礼聖歌「わたしは門のそとに立ち」
1、わたしは門のそとに立ち、とびらをたたいている。
もし声を聞いて門を開けるなら、わたしは中に入りあなたと共に住む。
2、とびらのそとにはキリスト、心を開いて神のことばと愛とを受けよう。
キリストは今もたたく、心のとびらを。
2 件のコメント:
今日はありがとうございました!
私もMさんにそう教えていただいて初めて本当の意味がわかり、はっとしました。
歌をうたうってああいうことなんだと
改めて歌うことの素晴らしさを
実感できました。
共に心があわさると、何にもまさる祈りだと感じることができますね。
これからもよろしくお願いします。
公子さん、
コメントありがとう。
本当に一瞬のうちにみなさんの心がひとつになり、
感動の時でしたね。
ああいう体験ができると、歌うことがやめられなくなりますね。
こちらこそこれからもよろしく!
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