2010年12月30日木曜日

Merry Christmas

クリスマスおめでとうございます。

いっぱい書きたい事があった、12月なのに、何も書かない間に30日になってしまいました。
今朝は雪が降っていました。教会に少し用があったので、行った帰りに、今オートバックスでスタッドレスタイヤの交換の時間待ちです。
もっと早くしておけばいいのに、グズグズ考えている間に、今になってしまいました。
今年は、めげてしまい、おせちは煮しめだけにしようと思います。

2010年12月7日火曜日

「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」 NunkommdenHeidenHeiland

(教会報12月号に投書した文章です。
急いで書いたのと、ちょっと勉強不足でもあり完全ではありませんが、待降節の音楽に対する思いとして読んでいただければと思います。

待降節の音楽について少し書いてみたいと思います。
このコラール(ルター派の賛美歌)を使って J.S.バッハ は待降節第1主日のためのカンタータを作曲しました。このコラールのもとになったのは、ミラノのアンブロジウス による、聖歌「来ませ、異邦人の贖い主よ」Veni, Redemptor gentium です。
賛美歌 21 による、日本語訳は、次の通りです。

いま来たりませ、救いの主イエス、
この世の罪をあがなうために。 
きよき御国を 離れて降り、人の姿で御子は現れん。
 みむねによりておとめに宿り、神の独り子 人となりたもう。
 この世に生まれ、よみにもくだり、御父に到る道を拓く主。 
まぶねはまばゆく 照り輝きて、暗きこの世に光あふれぬ

このメロディーを使って J.S.バッハは何曲かのコラール前奏曲(コラールのメロディーを使ったオルガン曲)を作 っています。その中でも、特に有名なものが2つあります。
BWV599, オルガン小曲集第1番と、BWV659、バッハ が若い頃に書いたものを最晩年に手を入れて編纂した 17 のコラール集の中の曲です。2曲とも本当にきびしい 曲です。それは、喜びの日を待つための物でありながら、とても内省的なのです。
”オルガン小曲集” Orgelbüchlein(短いコラールが 46 曲、教会歴にそって作曲されている。)の第1番、どの節も上から下へ降りて行 く音型で、降誕を表していますが、曲全体が十字架の音型と言われる(例えばレミシド、などの形)音型で覆い尽 くされているのです。
そして、BWV659, こちらはペダルにずっと、重い歩みのような進行が続きます。救い主が人の罪を負って、受 難まで続く歩みを表しているようです。その歩みの上に、美しく装飾されたコラール旋律が奏されますが、そのメ ロディーの中身も、嘆きのモチーフがちりばめられているのです。

また、グレゴリオ聖歌の主の降誕日中のミサの入祭唱の交唱の中に、

”Puer natus est nobis, ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。
et filius datus est nobis: ひとりの男の子が私たちに与えられた。”

と言う節があります。この中の、datus と言う言葉には、単に与えると言うよりも、与えつくす。と言った意味があるよ うです。

「キリストは神の身分でありながら神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして僕の 身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に 至るまで従順でした。(フィリピ 2:6-8)

これらの音楽は、キリストの誕生は十字架への道の始まりであると言うことを、はっきりと表しているようで、毎年、 典礼歴の初めであるこの時期にこれらの音楽を演奏する時、身の引き締まる思いです。
待降節中の、ミサの前奏に上記の曲を弾かせていただく事があるかと思います。思いを共に、耳を傾けてい ただければ幸いです。

「我らの罪を許したまえ」


フランス人の作家、ロマン・サルドゥが書いた処女作、歴史ミステリー。
題と表紙の絵に弾かれて衝動買いした本です。
13世紀フランスとローマを巻き込む、中世のカトリック教会の話。
3つの関係のない話が、だんだん1つにまとまって来る所は面白い。
でも,「聖杯の暗号」は実在した集団を描いている迫力があったけれど、これは、全部がフィクションのようです。それだけに、中世の雰囲気は味わえるけれど、ちょっと劇画的でした。

グーグーだって猫である 4、5


”グーグーだって猫である”
大島弓子さんの漫画です。
いろんな猫達を観察しているのが、とっても面白いです。
私は基本的には犬飼いなので、あまり猫を観察した事が無かったけど、
猫にもずいぶん個性があるのですね。
ここまで、外猫の面倒をみても良いのかなあ、とちょっと不安は感じます。

2010年11月27日土曜日

結婚式

今日は教会で久しぶりに信者同士の結婚式のオルガンを弾きました。
信者同士なので、ミサの結婚式でした。
長年、青年会で活躍しているカップルですので、
教会の信者がたくさん集まり、良いお式でした。
ここからは、相変わらず単なる覚え書きです。
前奏:フルートソロと一緒にAndante in C K.315 Mozart
Wedding March
入祭:主は水辺に立った
答唱:典99 幸せな人
署名:グノー Ave Maria フルート伴奏
アレルヤ唱:典282 愛のうちに 
感謝:典220
平和:典221
拝領:カトリック聖歌527 Panis angelicus
閉祭:大波のように
退堂:Wedding march

2010年11月20日土曜日

「終わらざる夏」浅田次郎


忙しいだなんだと言いながら、東京往復の新幹線も含めて、
2週間かけて読みました。
浅田次郎の小説としては、読みにくい所もあり、時間がかかってしまいました。
夏に買っていたのですが、なぜか読みはじめが、入りにくくツンドクになっていました。
尖閣諸島、北方領土問題から、また気になり読み始めたら、
今度は止まらなくなりました。
小説として、面白いのかどうか、或は上手なのかどうかは分かりません。
その辺りは、アマゾンのカスタマーレビューにも皆さん書かれているので、ごらん下さい。
でも、今の日本に生きる、戦争を知らない私たちが、読むべき本だと思いました。
私は、北方領土の事を完全に間違って理解していたようです。
大学生の時、2週間ほど北海道を旅行した事が有りました。
その折、根室のあたり(あまりに遠い記憶で、場所がはっきりしない)で、
観光船のようなものに乗った時、
地元の方が、ここにいると、全然違った見え方がするんだよ、
すぐそこに島がある、そして、ソビエトの船もすぐそこに見える。
と、話しておられたのを思い出しました。
きっと、あのおじさんは、戦争を知っている世代、
どんな思いで、本土から来たなんにも知らない大学生をみていたのでしょうか。

小説の筋としての面白さはありません。
途中で出て来る、ソ連兵の話も、なんかノンフィクションの中に(本自体はフィクションです)
急に、ファンタジーが出て来るような違和感です。
でも、たくさんの登場人物の一人一人の人生に対する誠実さに、
心を打たれました。
今も、どこかで戦争があり、誠実に生きている一人一人が、
命を奪われて行く、許されない事です。

アイヌ語の『カムイ・ウン・クレ』神、我らを造りたもう。
この言葉が後半のキーワードになります。

これだけ誠実に、人生に向かい合う事が出来ているでしょうか。
自分にそれを問わずにはおられませんでした。

この本を読んでみたいと思います。

2010年11月8日月曜日

グレゴリオ聖歌 GT21

GRADUALE TRIPPLEX(GT21)

Hebdomada tertia adventus
(待降節第3主日)
Introitus(入祭唱)Phil.4, 4.5; Ps.84(フィリピ4章4,5; 詩編84)
Gaudete in Domino semper:
喜べ/主に/いつも
「主において常に喜びなさい。」
iterum dico, gaudete:
もう一度/言う/大いに喜べ
「重ねて言います。喜びなさい。」
modestia vestra nota sit omnibus hominibus:
慎ましさ/あなた方の/示す/sit/すべての物/人
「あなた方の広い心がすべての人に知られるようにしなさい。」
Dominus prope est.
主/近く/sum(単3)
「主はすぐ近くにおられます。」
Nihil solliciti sitis:
何も〜ない/熱心な/乾き
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。」
sed in omni oratione petitiones vestrae
しかし/すべての物/祈り/願い/あなた方の
「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、」
innotescant apud Deum.
知られる/御前に/神を
「求めているものを神に打ち明けなさい。」
Ps. Benedexisti, Domine, terram tuam:
詩. 祝福せよ/神よ、/地を/あなたの
「主よ、あなたはご自分の地をお望みになり」
avertiste captivitatem Iacob.
転向させよ/捕虜/ヤコブ
「ヤコブの捕われ人を連れ帰ってくださいました。」